Darknessdarkness


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2
名前も知らない男の腕の中で目覚める日が来るとは思いもしなかった。
名前も聞けないままに、逃げるように出て来てしまったが書き置き位残して来れば良かっただろうか…。いや、そんな関係でも無いだろう。
盗み撮りした写真を見る。今まで出会って来た人間の中でもトップクラスの端整な顔立ち。左手頬に奔る傷は一体何があったのだろう。
「ちっ」
気付くと男の写真に目を遣ってしまう。iPhoneの画面を切り替え、恐ろしい程の着信を残している履歴にコールした。
「あ、俺だけど。あぁ、大丈夫だ。他のヤツらはどうしてる?…そうか、今から戻る。迎え寄こして」
短い電話が終わると、拳に巻かれた包帯がほつれ掛けている事に気付いた。
「結局、名前聞けなかったな」

事務所の次席で机に脚を掛け、リクライニングの椅子に深く腰掛ける。怪我した奴等を掛り付けの医者に頼み、残った者で事務所を固めるていた。留守番といっても、電話もならなければ客が来る訳でもない。
一週間がたった今でも警察は見回りを強化している。ある意味では謹慎のようなものだった。
手持ち無沙汰にまた盗み撮りした写真を眺めていると、いつの間にか後ろに回り込んだグルが覗き込んでいる。
「若、何見てるんだい?」
ニヤニヤとした顔が想像出来る声に、うんざりとした。
「勝手に覗くな」
「あ、コレはたけカカシでしょう!傘下のホストクラブの」
タップした画面から写真が消える少しの間にしっかりと見ていたらしいグルが身を乗り出す。
「お前、知ってるのか?」
「顔は良いけどすごいタラシって噂ですよ」
「傘下って何処だよ。見た事ねぇぞ。ホラだったらタダじゃおかねぇからな」
オビトの睨みに身体を引いたグルは両手を前に出して扇ぐようなジェスチャーをしている。
「白い牙ってゆー、今時にしちゃ平均年齢高いホストクラブっスよ…やだなぁ、俺が嘘つく訳無いじゃないっスかぁ」
「あっそ」
時計を確認すると8時を回る頃だった。闇に紛れるには少し早いがまぁ良いだろう。
「マダラのじぃさんの帰り、明日だったよな?」
「はい。夕方位って言ってました」
「ちょっと出てくる。留守番頼むわ」
「えっ、ちょっと!若!!」
追いかけて来ようとするグルを扉で遮ると、スカジャンの前を閉め住所を聞くのを忘れた事に気付く。
「おい。グル」
「若ぁ!やっぱり自分も一緒に?」
「いや…」
言いかけて、住所を聞いたら今から行きますって言ってるものではないかと思い及ぶ。まぁ、行けば判るだろう。
「じぃさんから連絡あったら携帯鳴らせ。じゃあな」
もう一度扉を閉めると、部屋の中から嘆く声が聞こえた。
(つか、俺の事を変わった名前って言ってたけど、アイツの方が格段に変わってるだろ。なんだよ、カカシって…)
不意に脳裏に蘇った男の声に耳を澄ませる。やはり、もう一度会いたい。
オビトはこの一週間ずっと考えていた、あの不思議な雰囲気を放つ男の所へと向かった。

案ずるより産むが易し。白い牙はすぐに見つかった。俺が気にしていないだけで、界隈では結構に有名な店のようだった。
しかし、いざ店の前に来て自分一人でホストクラブに入店する訳にも行かずにうろうろしてしまう。
「ボン?こんな所で何してる」
「え?本当だ。ボンちゃんだ」
(マダラの側近、双子の黒ゼツと白ゼツ…しくった)
「あー、見回り?」
黒ゼツが睨みをきかせて来る。
「ボンは留守番してろって言われてる筈では?」
間に割って入ってきた白ゼツがまぁまぁと黒ゼツの肩に手をおいた。
「ちょっと黒ちゃん!ボンちゃんもたまには羽伸ばさないとね。僕が良いとこ連れてってあげるよ。ね、黒ちゃん、僕と一緒ならいいでしょ?」
「…先に戻る」
全身黒尽くめの黒ゼツはニコリともせず、踵を返すと歩み出す。
「黒ちゃんってつまんない男だよねー。さ、行こっか」
白ゼツはオビトの肩に手を回し、有無を言わさぬ笑顔で黒ゼツとは反対の方へ向かう。
「お、おい。何処いくんだよ」
「い•い•と•こ•ろ。だよ」

蛇をあしらったギラギラと光るネオンが眼に張り付く。
(良い所ってキャバクラかよ)
オロチマルと書かれた看板を通り過ぎると、ボーイが迎えてくれる。客としてこういった店にに入るのは始めての事だった。
女からは香水と化粧の香りが漂う。オビトは鼻につく噎せ返る匂いに少しの息苦しさを感じた。
記憶にも残らないくだらない話をして、時間だけが過ぎていく。
「お兄さん、呑まないの?」
「あぁ、呑めないから、いい」
「やだ。可愛い〜」
シナを作った女の手が太腿に添えられ、ギクリと身体が強張った。
向かいに座る白ゼツに視線を送るとウィンクしている。
(…帰りてぇ)
それとなく横にずれると、女も横にずれて来る。どうしたものか…。何か話さなければ。
「あのさ、白い牙のはたけ」
「はたけカカシ?」
オビトの言葉に重ねてまくし立てる女は、今度は手を重ねて来た。何なんだ一体。
「あぁ。そいつってどんな奴?」
「うーん。皆かっこ良いって言ってるけど、私はパス。顔にこーんなデッカイ傷があるんだよ」
オビトの目の前に人差し指と親指を広げた手を突き付ける。付け爪が目に刺さりそうだ。
「お兄さんの方がタイプかも〜」
つい、と付け爪が頬を撫で、ぞわりと首から頭のてっぺんまで毛が逆立ち笑いが引き攣る。
この後、女が他の席に移ると言うまでの15分間は地獄だった。
「凄いテク持ち」
「100人斬り」
「実は男もイケる」
「本当は噂ばかりで寝た事あるヤツは居ない」
「2分で相手を落とす」
良く喋る女にカカシの武勇伝を聞かされるも、あの女の言う事だ。何処までが本当か、何処からが嘘か分かったもんじゃ無かった。
オビトは頭を垂れて深いため息を付く。
(はぁ〜どっと疲れた)
編みタイツの脚が視界に入る。
「若い子の方が良いかと思ったんだけど、若頭さんには迷惑だったみたいね」
顔をあげると古株らしき女が隣りに座り脚を組む。胸の大きく空いたドレスからも編みタイツのようなものが見える。一見SM嬢のような出で立ちだった。
「アンコです。よろしく」
捕まったらマズイタイプだと本能が警鐘を鳴らす。
「もう帰るから、俺にはつかなくていい。アイツにも伝えといて」
両隣に座らせた女の肩を抱き、すっかりと出来上がっている白ゼツを指差す。
「そんな逃げなくても良いじゃない。ねぇ…アンタ、カカシに会いたいなら連れてってあげようか?」
カカシの名前にドキリと胸が跳ねる。その上、話してもいない自分だけの心の内をアンコに見透かされたようで、返答が遅れる。
「…別に会いたい訳じゃない。少し借りがあるだけだ」
「借り?…アンタ、うちは組の若頭だろ。あんな怪しいホストに借りねぇ…」
「もう良い」
「待ちなって。今ならバーPakkunにいる筈だから」